No Meat, No Life.

横浜の魚屋の長男として生まれたが、家業を継がずに肉を焼く日々。

2008年7月7日 よろにく

会社の人を焼肉に連れて行くことになった。
焼肉ばかり食べていると、こういった事は避けられない。
人を連れて行くなら、今は迷わずよろにくである。
電話で予約をすると、ツイてることに、今まで月曜日は定休日だったが7月から営業することになったらしい。
お店に着くと店長やいつもの達人がいない。
他の店員に聞くと休みのこと。
達人がいないのはかなりガッカリだが、気を取り直して注文。
まずはお刺身の盛り合わせ。
イチボの刺身、ユッケ、白センマイの盛り合わせだ。
この中では、やはりイチボが抜群に旨い。

ただ、個人的にはトモサンカクが好きなので、トモサンカクの品切れにはちょっと残念。
見てすぐに上物だと分かるヒレが登場した。

これを店員さんが焼いてくれたのだが、これがなってない。
焼き方がいかん。
肉を網に乗せれば、それで肉が焼けるものだと思っているのだろうか!?
網の上のヒレの状態を、目や耳で真剣に感じ取ろうとしてないのだ。
繊細なヒレを焼くということがどういうことか全然分かっていない。
おかげで、焼き終わった網にはヒレの一部がくっついてしまっていた。
確かにこれでもこのヒレは旨かったので同席者たちは満足してくれていたが、焼き方がもっと良ければ、このヒレはこんなものじゃなかったはずだ。
本当に残念。
次に登場した上タンからは、店員さんに丁重にお断りして、全員分を私が焼くことにした。
この上タンは4切れの中で1切れだけ上タンとは思えない1切れがあった。
これはちょっと残念。
他の3切れは旨そうだったのだが。

ちょっと話はそれるが、人を焼肉に連れて行くというのは、それほど喜ばしいことではない。
何故なら、連れて行った人に満足してもらいたいと思うのが普通であろうし、そうでなければ肉好きのプライドが許さない。
そのため、旨そうな肉から同席者の皿に乗せ、お皿の中で一番劣るであろうお肉を自分に持ってきてしまうのだ。
全てのお肉が素晴らしければよいが、1切れでも劣るものがあると、必然的に私が食べることになるのだ。
今回の上タンでは、こういった残念な事象が発生してしまったのだ。
他の人が旨そうに食べている姿が羨ましくて仕方ない。
自分が選択した行為だとしても。
イチボは綺麗なサシが入っていて、これは旨い。
上品な甘みが最高だ。

特選カルビは、ちょっと残念。
旨いのだが、特選と呼ぶには荷が重いだろう。

今回最も印象深かったのはミスジ
このミスジの甘さは、表現に苦しむ。
今までよろにくで食べたミスジの中で一番の旨さだ。
眩い姿を目に焼き付けて欲しい。

ザブトンは細かなサシが口の中で蕩ける旨さ。
ザブトンで包んだ分だけでは、ご飯が全然足りない。

ミスジとザブトンのコンビネーションには相変わらずの満足。
ここで巻きを頼もうとしたが、まさかの品切れ。
ちょうど品切れになったとのことで、悔やんでも悔やみ切れない。
泣く泣く最後は素麺で〆た。
素麺のお供ににコプチャンとミノサンドも頼んだのだが。
コプチャンは旨かったが、今回のミノサンドは普通だった。
ちなみにサービスで出してもらった葱ヒレもまあまあ。
残念ながら、今回は今までのよろにく焼きの中では一番満足度が低かった。
その原因は、注文時のやり取りで達人のような受け答えができない店員さんや、その店員さんの焼きのレベルの低さ。
そして、よろにくでは考えられない1皿の中での肉質の不均一さ。
全ては達人や店長がいないのが原因だろうか。
代わりに私がお肉のプレゼンテーションと焼きをしてあげたいくらいだった。
次回は達人の出勤を確認してからのよろにく訪問となるだろうが、間違いなく満足させてくれることを祈る。