No Meat, No Life.

横浜の魚屋の長男として生まれたが、家業を継がずに肉を焼く日々。

2010年3月2日 ゑびす本廛

ブログにコメントをいただいた焼肉屋さんに訪問。
焼き仲間やブログの読者からは「お店の宣伝なのだから行く必要ない」といった意見もあったが、私としてはそんな事はどうでもよく、ただ旨い焼肉が食べれれば良いと思っている。
私が焼肉会の最高峰と思っている“よろにく”の名前を出してのコメント(焼き仲間は挑戦状と言っていた(笑))を読むと、相当の自信がありそうで、期待で胃袋はパンパンに膨らんでいた。
お店の方からは前日までにお願いすれば対応していただける”お任せ”を勧められていたが、焼き仲間にしてもらった予約の関係上、単品の中のオススメで”新焼肉”なるものを堪能することに。
お通しは殻付の牡蠣を網で焼いてもらう。
魚屋の息子の舌では平凡な牡蠣と感じるのみ。
レバ刺しは初めて見る淡い色のタイプ。
甘みは感じられず、口の中に臭みが残る。

意外だったのが馬刺し。
馬のバラ部分であるが、トロッとした脂が舌の上で甘みを広げてくれるが、しつこさは全くない。
これは馬刺しの概念が変わる旨さ。

常陸牛黒タンはじっくりと熟成しているのか、熟成の輪ができている。
和牛の黒タンであるが、ほとばしる旨みが感じられず、隠し包丁のおかげで食感もイマイチ。
また、勧め通りに刻みネギを焼いた後に乗せて食べたが、このネギも火を通して甘みを出した方が旨いであろう。


常陸牛黒腹身(ハラミ)は見事な厚切りではあるが、ドリップが酷い。
旨みの詰まった肉繊維を噛み切る食感はなく、旨みの抜けきった肉繊維が口に残る。
久しぶりに食べた安っぽい味わいのハラミだ。

背とろ(ザブトン)はゴマダレで食べたが、ゴマダレの甘みが強すぎて、甘みが特徴のザブトンの良さを消してしまっている。
ザブトンの蕩け具合は良かっただけに残念。


吟(タテバラ?)は味噌ダレを塗って、青海苔を振りかけて食べる。
この味噌がかなり旨く、バラの脂にもあっている。

何故かこのタイミングで登場のゑびすユッケ。
旨みがほとんどないお肉にかなりガッカリ。
ユッケの味付けもあまり好みではない。

カイノミは網で焼いた後に、熱々の陶板の上でニンニクスライスとバター(?)に醤油で味付け。
食欲をそそる香りに気分は盛り上がったが、バター(?)っぽいタレのしつこさばかりが際立って、お肉自体の味わいは消されている。
せっかくのカイノミの旨みが活かされておらず、非常に勿体ない。

上ミノはザクザクとした食感があって旨い。

ギアラもまあ普通に旨い。

メニューに載っていると食べずにはいられないのがシャトーブリアン
食べ方を聞いたところ、陶板で食べるとのことで最初は断ったが、どうしても食べたくなり塩コショウで食べさせてもらった。
大皿に乗って運ばれてきたシャトーブリアンは、サシの入り具合、判の大きさ、冷凍のかかっていない生の状態、全てが完璧である。
というか、今まで食べてきた物からは想像もできないほど上質である。
火加減を超弱火にし、15分ほどかけてこの厚切りシャトーブリアンに火を入れていく。
繊細な肉質のシャトーブリアンは、強火で炙ると肉繊維が硬くなって、シャトーブリアン特有の柔らかさが半減するので、やはりの超弱火の火入れが最高ではないだろうか。
完璧な火入れで仕上がったシャトーブリアンは素晴らしい旨さである。
柔らかさは勿論旨みも満点で、飲み込むのが勿体無いと感じるほど。


全体的に肉質はなかなか良い物を使用しているが、そのストック方法に問題があるように感じる。
一度冷凍をかけているようなお肉は焼きにくい上に、旨みも抜けやすく感じるものばかりであった。
特にハラミには顕著にそれが出ていた。
また、お店の看板である”新焼肉”と称される食べ方だが、”よろにく”のように『より旨さを増すもの』ではなく、残念ながら私の好みのものは少なかった。
私には店主の頑張りが空回りしているように感じてならない。
きっと“新焼肉”も現在の形が完成形ではないと思われるので、いつか進化した”新焼肉”を食べてみたいものだ。