No Meat, No Life.

横浜の魚屋の長男として生まれたが、家業を継がずに肉を焼く日々。

2015年2月12日 1864


銀座7丁目にあるFUKUHARA GINZAビルの地下1階にある会員制ステーキ店”1864”。
“1864”とは、資生堂の創業者・福原氏の東京進出に因んだ年とのこと。
以前から気になっていたお店ではあるが、会員制ということもあり、なかなかその入り口をくぐることができなかったが、今回は肉好きの縁で初訪問が叶った。
店内は開放的なオープンキッチンで、個室とカウンター8席程度の優雅な作り。
“1864”のキッチンに立つのは、”吉兆”、”新喜楽”と共に日本三大料亭と呼ばれる”金田中”で総料理長を務めた高橋良明さん。
私はある思いを抱きながら、この”1864”訪問をずっと心待ちにしていた。
「和牛はその名の通り、『和』の食材だ。
その『和』の食材を昇華させるのが和食(日本料理)であるはず。
魚介類や野菜類へのアプローチはどこまでも深く、素材への拘りや多彩な調理法、どれも心から素晴らしいと感じることができる。
それに比べて、和牛をはじめとした肉へのアプローチはどうだろうか。
松阪牛近江牛といったブランドの名だけに頼り、調理法もシンプルな炭火焼きの枠を出ていないように感じる。
これが本当に残念でならない。
本物の和食(日本料理)の料理人が、本気で和牛を扱ったらどんな料理ができるのか。
それを見てみたいし、食べてみたい。」
もちろん私の和食(日本料理)への経験値が低いが故の偏見かもしれないが、それも含めて、自分が長年抱き続けてきた想いへの答えを”金田中”元総料理長である高橋さんからなら得ることができるかもしれない、とう期待でいっぱいの”1864”訪問である。

前菜からしっかりとした和食のお皿が続くのは、さすが高橋さんの本領発揮ということだろう。
お椀ではなく自家製コンソメスープで肉の味を確認できる。
コンソメスープを1口飲んだ瞬間に口に中にインパクトがあるのだが、残念ながらそれは旨みというより雑味。
コンソメスープの最高峰である”かわむら”や”くいしんぼー山中”では、雑味が微塵も感じられず、ただひたすらに凝縮された肉の旨みが口に広がる。
肉の旨みが目に見えるものだとしたら、それをすくって飲んでいるようなイメージ。
コンソメスープの味わいの先に生きた牛が想像できるのだ。
しかし、このコンソメスープは雑味と臭みがあり、生きた牛ではなく、状態の良くない肉を想像してしまう。
例えば、ドライエイジングされた肉から出る酸化した端材もコンソメスープの材料にしてしまっているのではないか、と勝手に根拠のない想像をしてしまった。


握りは嬉しいことにカイノミで。
肉の味は弱いが握りとしては悪くない。

いよいよメインのステーキ。
この日用意されていた肉は、松阪牛ヒレと肩ロース、中勢以でドライエイジングされた但馬牛のサーロインとランプ。

オープンキッチンの壁の中央には肉を焼く立派な炉が設置されている。
蓋がないので、炉窯とはちょっと違うが、立派な炉は高さ調整がしやすく、火の入り具合を確認しながら高さや場所を変え、時には炉内で休ませながらじっくりと火が入れられる。



時間と共に肉塊は丸みを帯びていき、若手の焼き担当は指で弾力を確かめながら火の入り具合を確認している。
焼き上がった肉塊が目の前で切り分けられていくと、黒毛和牛らしい何とも言えない香りが立ち込める。

まずは松坂牛のヒレから。
部位的にはヒレの中でも頭側(?)のテート。
肉の味そのもので言えばそれほど強くないが、柔らかさは、さすがにヒレ、という物で申し分ない。
火入れが若干甘かったのがちょっと残念なところ。



松坂牛の肩ロースはザブトン。
かなり厚みのあるザブトンは脂のインパクトがかなり強い。
そしてロースの中でも味の乗りにくいザブトンは、厚切りより焼肉やすき焼きの様に薄切りタレで食感を楽しむのが向いているように感じる。



中勢以の純但馬牛のランプ。
焼かれる前の状態ではサシはほとんどないが、嫌な硬さが一切なく、実に食べやすい。
そして、中勢以らしい熟成香に、強く熟成された肉特有の味わいが口の中に広がる。



最後は中勢以の純但馬牛のサーロイン。
かなりサシの入ったサーロインであったが、やはりサシの部分の熟成がかなり進んでいて、鼻に抜ける熟成香が個人的には強すぎる。
この辺りは好みの問題なので、好きな人は好きなのだろうが、ここまで強いとちょっと食べるのが辛い人もいるかもしれない。



前半の肉以外の前菜と、肉を使った料理の印象にかなりの差があるように感じる。
ステーキの断面を見ても部位がほとんど分からなかったり、『松坂牛』や『中勢以の中でも一番良いもの』、『月例は2年半から3年の雌』といった具合に、飾りの言葉に気をとられ、その肉の本質を気にしていないように感じてしまったのが残念だ。
少々厳しい感想を書いてしまったが、全ては期待感から来るもの。
和食の最高峰の料理人にこそ、本気で牛肉に取り組んで欲しい。
本物の黒毛和牛を本物の技術で、今まで食べたことのないアプローチを見せて欲しい。
それだけの技術と経験を持っているのだから。
肉好きだからこその望みなのだ。